あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

長引いてしまった理由

こんにちは。

今日も昼の時間に更新します。

 

今回は、僕の体調不良がなぜこれほどまでに長引いてしまったか、ということを話していきたいと思います。

日常生活に支障が出るようになったのは、今から12,3年前です。最初の診断は「適応障害」でした。

その後、退職・離婚といったイベントを経て、療養、そして社会復帰しながらの治療、再婚、悪化、という流れとなりました。

住む家が変わっていったこともあり、病院はいくつか転々とすることになり、その都度、診断が変わっていく、そして処方薬も変わっていきました。

最初の会社を退職した後に療養期間をとった以降は、基本的に仕事をしながら通院をしていました。

今の診断名は「うつ病」となっております。

どうしてこんなにも長い期間になってしまったのか、僕は大きく3つあると思っています。

まず1つ目

適応障害の診断を受けた時から、様々な薬を処方されてきましたが、薬が効いている実感が全くなかったこと。

急な不安に襲われた時などの頓服、現妻と言い合いになった時のイライラ時の頓服、どれも全く効果がありませんでした。

ベースとなる、毎食後の抗うつ薬も、飲んでいなくても変わらないような感じでした。

当然、その度に医師に相談し、様々な薬を試しました。しかし、どれも変わりませんでした。

ほぼ寝たきりの状態から、少しずつ動けるようになったり、退職・離婚、などのストレスと向き合ったりというのも、時間が解決したようなものだと思うのです。

効果を実感できた薬といえば、頭痛薬と、睡眠薬くらいです。

ただ、副作用や離脱症状は出てしまったため、新しい薬に変更しても、以前の薬も残しつつ、というやり方となり、ひたすら薬が増えていきました。

こんなことから、だらだらと長引いてしまったのではないかな、と思ってしまいます。

 

2つ目

・自分はやっぱり劣っているという思い込み。

通院し、薬を処方され、診断書も出ているにも関わらず、休職中や療養期間において、「僕は仮病なんじゃないか」とずっと思っていたのです。

それには、もちろん、そう思わせるような周囲の声かけがあったわけですが、根底に「こんなんじゃダメだ、もっとしっかりしなきゃ」「こんなことは皆あることだから、休んでいてはいけない」という非常に強力な「べき、ねば」の気持ちがあったのです。

誰もいない部屋で一人で寝ている時も、当然、頭の中はそんな気持ちでいっぱいでした。

休まるはずがありません。

また、仕事をしながら治療中の時期でも、「今日はしんどすぎてダメだ」といって休んでしまっても、サボッていると思いこんでしまうのです。

しんどくて、もうダメだ、って思っているにも関わらず、「それは休む理由にはならない」といって自分を追い詰めるわけです。

このような気持ちが、今年の5月辺りまで続いていました。

 

3つ目

・周りの人間関係、そして焦りです。

どこの家庭でも起こりうることですが、妻(2人とも)とその両親 と 僕の両親との仲が良くないです。最初の方こそ、一緒にご飯を食べに行ったりしましたが、帰りの車で必ず僕の親のダメ出しをします。また、僕の両親も妻や義両親の批判をする。

そして、そんな間をうまく取り持つのが僕の責任、という認識を皆が持っていたようで、嫁姑の不仲は、結局、僕のせいになるわけです。

僕は体調不良になる前は、それなりにやってはいたと思います。

ですが、体調不良になってからも、そんな不仲は続き、更にヒートアップしてしまいました。

「どうしてもっと仲良くやれないんだろう」って僕は単純に不思議で仕方ありませんでした。

「相手を悪く言うことって、言ってて楽しいの?」って思うわけですが、双方からはどんどん相手の批判が出てくるのです。

最終的に、取り持つ役割である僕が病気になっていることが悪い、となるのです。

次に来るのは、「あなた本当に病気なの?」「ただサボりたいだけでしょ?」となるのです。

そんなことを毎日、色々な人から言われていたら、「本当に僕は劣っていて、間違っていて、悪い人間なんだ」って、思いこんでしまいます。

それが焦りにつながるのです。

早く仕事に復帰しないと、あるいは就職しないと、と焦ります。

体調が中途半端な状態で、フルタイムの仕事に就いて、やっぱりダメになる。

すると、「そもそもの考え方を直さないと、どうにもならないんじゃない?」と言われる。

 

こんな要素が合わさり、何とも中途半端な体調のままずっと、焦り焦り、プレッシャーを感じながら来たわけです。

完全に周りの顔色ばかり見て、そして周りの意見=自分の意見、なぜなら周りの意見は自分の意見より正しく、優れている、という強い思い込みとなったわけです。

 

落ちぶれてるな、って思ってくれて構いません。

ただ、こんな風に自分の気持ちを支配されがちな状態でも、昨日の記事で話したように、心動き、感動することができる。

これからは、自分のその感動に目を向ける。そして、それが十分できると確信しています。

うつ病」であるとか括りは、もう曖昧で良いのかなと、

色々あったけれど、一つ一つの感動を拾い集めながら、今、生きているってことは素晴らしいことだと思う。

これだけ長い間の苦しい時期、人生は僕に何をしろと言っているのか。

その答えは、生きていくことが答え、生きていく中で、求められていることが見えてくる。

これほど、自分の気持ちと向き合い、深く傷つき、改めて傷つき、改めて感動することなど、今までなかった。

 

これからの出会い、感動を楽しみたい。

 

半年前とは、別人のような気がしてるのです。