幸せになってはいけない?
こんばんは。
今日でお盆の連休が終わりっていう感じでしょうか。
もう8月も後半に入りますね。
そして、僕はやっぱり焦っています。
焦るのは、本当に苦しいです。この期に及んでなぜ、そんなに焦ってしまうのか。
最初の会社を休職していた時期もそうでした。
退職し、離婚もし、実家に戻ることになりました。
「何でもいいから、とにかく何かやらないと!」という考えの両親には、目に見えた行動をしていなければ、何もしていないと見えていた(見えている?今も?)ようです。最初の離婚後の実家生活は、焦りしかありませんでした。
体調が不安定にも関わらず、何社か面接に行きましたが、なかなか採用には至りませんでした。退職してから半年くらい経って、少しは体が動くようになりました。
そこで、職業訓練を受けてみようと思ったのです。
どうせなら資格が取れるものがいいかな、いや、好きなことを勉強した方がいいかな。
などと考え、選んだものはビジネス英会話でした。
英語だったら、そこまで大きな抵抗はないかもな、なんて思っていました。
その職業訓練で、現妻と出会ったわけです。
ビジネス英会話では、授業は全て英語でした。色々な個性豊かな先生がいて、楽しかったです。
受講生の中には、TOEICほぼ満点、なんていう方もいらっしゃって、なんで受けてるの?と思ったりしてました。
20名くらいの受講生でした。僕はなぜかこの時も「みんなが仲良くなるきっかけを作らないと!」みたいなよく分からない使命感を感じていました。
それで、3か月ほどの受講期間内に、真ん中あたりで1回、最後に1回、その年のお花見で1回、その後集まれる人だけで数回、飲み会を開きました。
社交的ではないって思っていた僕が、思い切り社交的になっていました。
そして、それは苦しくもなく、むしろ楽しかったのです。
あと、教室にピザ宅配を頼んで、ピザパーティとか笑
そんなことが良かったのか、訓練期間が終わってからも、仲の良い方々はそれぞれに集まったりしているようです。
そんな中、現妻は自分から僕に近づいてきました。
そっか・・・、僕は、復職支援施設に通っていた時もそうだ。
職業訓練においても、包み隠さずすべてさらけ出して話をするようになったからだ。
だから、間を取り持つ役が合っていたり、幹事役が合っていたのかもしれない。
職業訓練でも、(もちろんある程度親しくなってからですが)、うつ病であること、離婚をしたことなども、隠すことなく話していました。
そんな状態だったからこそ、現妻も近づきやすかったのかもしれません。
また、現妻は大学時代に心理学を専攻していたようで、僕がうつ病であることに気を配るフリをしながら、良い人を演じていました(今だからこそ分かることなのですが)。
その時の僕は、理解のある良い人に出会えたな、なんて思っていました。
これが、結婚してから一変してしまいました。
現妻との付き合っていた期間については、すみません、今はちょっと触れたくないです。
これまでいくつか記事を書いてきましたが、職場の人や、前妻、その両親、現妻、その親、そして僕の両親が、僕のことをなかなか理解ができずひどい言葉をかけられたということも触れてきました。
実際、書いていてあまり気分が良くありません。
なぜかというと、ひどい言葉を言われた、と言ってしまうと、自然とその言葉を言った人を非難しているような分になってしまうからです。
それらの言葉により、僕が傷ついたり落ち込んだり、寂しかったりということは事実です。
ですが、僕は誰かのせい、とは考えていませんし、そうは思いたくありません。
妻が憎い、親が憎い、職場が憎い、そう思っていた時期はもちろんあります。
そしてそんな時期は、もうそれしか考えられません。それはそれで良いと思います。
そんな中でも、時間は過ぎていきます。
現妻との生活については、また書きますが、洗面台の鏡に映った自分の顔を見て、
「怖い顔だな」って思ったんです。
それこそ、周り全てが敵、と考えていた時でした。妻の言動一つ一つが怖く、全てが僕を責めているように感じました。
毎日イライラし、突然湧き上がる破壊したくなる衝動、そして消滅したくなる衝動、
僕の顔はすっかり、変わっていました。
今は・・・、どうでしょうか。
理解してくれなくて腹が立つ、とはもう思いません。寂しいな、残念だな、とは思いますが、怒りは持ちません。
前妻、職場のお局さん、周りの人、家族、現妻、僕は誰も憎んではいません。
「もう、よそうよ」って思うんです。
誰かが特別に悪いわけじゃないし、見方によっては僕も含め、みんなが悪い。
大切なことはそこじゃない、僕には様々な場面で人知れずついた大きな傷がある。
多かれ少なかれ、みんな心の傷はある。
ただ、日常生活に支障が出てきてしまうくらいに、手当てが遅れたんだ。
傷も癒えないまま、再び戦いに行き、また別の傷が増える。
怒りや憎しみ、悔しさ、恨みは必要な感情。そして、その裏側には、寂しい、悲しい、独りぼっち、のような感情が隠れているはず。
癒されないまま、気づかれずに放置してあった感情が、あるんだと思う。
うつ病だから、HSPだから、ということではなく、人それぞれの傷。
気づく必要のない人もいるでしょう、気づけないままの人もいるでしょう。
僕の心にあるポッカリ空いた穴。
僕は喜んではいけない、僕は楽しんではいけない、僕は遊んでいてはいけない、僕は夢中になってはいけない、僕は愛されてはいけない
なぜなら、僕の前にみんながならないと、僕はなれないから。
そんなことを、本当に真剣に信じ込んでいました。ですから、今でもとても楽しいって思うと、「大丈夫なのかな?」って思ってしまいます。
後半は思いつくままに、そのままの言葉を書き連ねました。
明日は、現妻との結婚生活について話したいと思います。
今日もお疲れさまでした!
読んでくださり、ありがとうございました。
では、おやすみなさい!