あつしの生き方日記

うつ病、HSPとの向きあい方、その他を書きます

学校時代の僕

こんばんは

昨日、気分が急落してしまったことについて触れましたが、おそらく今後もそのようなことが度々あると思います。

そのため、自分でも整理していく意味で触れていくかと思います。

 

さて、今日は過去の振り返りの続きをしようと思います。

家庭内での記憶があまりない一方、幼稚園、小・中・高・大の学校生活の記憶は結構あります。

幼稚園のころから人目を気にし、友達にどう思われているか、先生からどう思われるかをビクビクしながら過ごしていました。

それほど活発で社交的というわけではなく、ほとんどしゃべらない、友人がほぼいない、というわけでもなく、当たり障りのない立ち位置でした。

友達と遊ぶにしても外で遊ぶことが多く、人目を気にしていたにも関わらず、そこまで苦しさは感じませんでした。小学校の高学年までは。

5年生になると、それまで何の隔たりもなく仲が良かった男女間に溝ができ、

・明るく活発な人

・中間

・目立たずに会話も少ない人

大雑把にこんな感じのグループができていました。

そのことに、僕はひどく落ち込んだ記憶があります。

あれほど笑いあって話をしていたのに、どうして一言も話さなくなるの?って。

僕は中間~目立たないの間にいたようです。

その頃ですね、クラスの女子から「笑い方が気持ち悪い」とか「暗すぎる」とか「存在感がない」と言われたのは。

そして、そのレッテルが僕の学校時代にずっとつきまとうことになりました。

中学時代から、僕は陸上を始めました。

走るのが速かったということはありましたが、走るだけの部活を選んだのは、仲が良くなった友達が入るといったからでした。

僕は短距離100m,200mで市内で1位になりました。

1年生なのに、3年生の先輩よりも速くなりました。

思春期だったこともあり、友達にも彼女ができたり、という話を聞くようになりました。

でもね、部活で活躍したって、小学生に貼られたレッテルは変わりませんでした。

それに上には上がいるので、県大会に出てみると、めっちゃ速い人ばかりでしたよ。びっくりしました。

その、小学生の頃のレッテルが正しいかどうか、ということは全く考えることもできず、ひたすらに「僕は暗い」「話がつまらない」「楽しくない」人間なんだって、思ってました。

モテませんでしたよ、さっぱりです。

高校に入ると、更に思い込みが激しくなりました。

英語科っていう英語ばかり勉強する学校に入りました。中学の頃、英語だけは成績が良かったので。

英語科のほかに普通科もあり、同じ校舎で、部活やら行事は一緒、という感じでした。

その英語科は、2クラス80名で、男子12人、女子68人という感じでした。

何となく、男12人はすごく仲良くなるイメージですよね?

僕は他の11人の輪になかなか入ることができませんでした。

あ、もう1000文字以上だ、長くなりますね。

高校の頃に、前の妻と出会ったわけですが、思い出すのが苦しくない程度で振り返りたいと思います。

キリが悪いですが、今日はこれくらいで!

ありがとうございました。

ではまた!