マウンティングについての僕の考え
こんばんは~
前回の更新から10日ほど経過しました。
僕の体調については、そこまで苦しいというわけではなく、気分が滅入るなぁってことについても病的ではない状態です。
だいぶ前からですが、マウントを取るという言葉をよく耳にします。
耳にするっていうよりか、ネット上で見る機会が多くなりました。
で、「マウントを取る」っていったいどういうことを言うのかなぁ?って考えていました。
意味としては理解できるのですが、どういった構図になるのかなって考えました。
マウンティングについて何を考えたのか、と言うと。
「あの人はマウントを取ってくる!」と言われている人がいたとして、
他の人がその人の話を聞いても、「うわ、マウントしてくる」って思うのかなってことです。
僕は人っていうのはみんなそれぞれに背景が違っているし、生きてきた環境も違うし、話す言葉(よく使う言い方という意味です)も違う、考え方も全てが違うと思っています。
ですから、自分と他人というのはまるで別の生き物だと考えてもいいくらいに違っているものだ、と思っています。
だからと言って、「まるで異世界の人を見るような感じ」で接するわけではありません。
人間は言語や身振り手振り、表情なんかで多くの情報を伝達してきました。
そういった便利なものがあるお陰で、赤の他人であっても一緒に食事をとることができますし、コミュニケーションをとることができる。
それほどまでに違う人間であるならば、例えばマウントを取ってくると言われる人への見方も、人それぞれなのだろうなと思うのです。
つまり、ある人にはマウンティング人間に映るけれど、また別の人にはとっても素敵な人と映ることも、大いにあるわけです。
そんなことを考えていたのです。
それならば、「マウント」にまつわる様々な事柄は、「話を聞く側」だけの問題ってことなのか?
それはそれで、また違うよなとも思います。
普通に話をしているだけなのに、何故かしら自慢げに聞こえてしまったり、自分が優位であることを確認したくて仕方ないっていう人もなかにはいるでしょう。
そういった話す側の問題も充分に考えられるなと思います。
また、こういったものというのは、ほとんどの場合「意図していない」ものです。
意図的にマウントを取る人も、まぁなかにはいるのでしょうが、やっぱり無意識にそういった話し方、そういう聞こえ方になってしまう文言を使ってしまうのかな。
そこに、聞く側のメンタルの状態も重なるわけですから、様々な事情が積み重なって、「マウンティング」が発生しているんだなって思うのです。
という話をですね、ツイッターの、ツイキャスで話してみようかなって思ったのですが、なかなか皆さんお忙しいようで、ほぼなんの会話もせず終わってしまいました。
うーん、なんか話すテーマをタイトルにつけた方が良いのかなぁ。
かと言って、誰も来てくれないのに一人で話すのも何だか違うしな。
色々考えて発信を続けていきたいと思うております。
さて、明日は土曜日ですね。
どうやら雨が降るようです。
ゆっくり週末をお過ごしください!