仕事を通して考えること
こんばんは。
昼間に感じていた左手の震えは多少は落ち着いてきました。
今日は午前中がリハビリ勤務、午後に精神科の受診がありました。
そこで手の震えについても話をしましたが、薬を長く飲み続けていることによるものかもしれないし、副作用かもしれないし、緊張性のものなのかもしれないし。
とにかく、「これかも?」というものがありすぎて、どれか1つに絞ることは難しいとのことでした。
で、そういう返事は最初から予想はしてはおりました。
でも、どちらかと言うと緊張、不安が強くなると震えることが多いかな。
食器が持てなくなるほどではありませんが、見れば震えてるのがすぐ分かるレベルの震えです。
これまで10年以上、何かしらの薬を飲み続けてきたことの体への影響は、やっぱり大きいですよね。
これが誰のせいか、という原因追求は、なかなか難しいことです。
過去を掘り返せば、色々と原因となる事柄は出てきます。
それが出来事のこともあれば、人でもある。
今、振り返って「あの時の苦痛をどうしてくれるんだ!」と叫んだところで、僕には虚しさと、「結局は変わらない体調」が残るだけです。
ゆっくりでいいから、この浮き沈みの激しい体調とのうまい付き合い方を身に着けていきたいなと思います。
考えようによっては、既に身に着けつつあるんだと思う。
しんどい時は、思い切って休む。
それができるかできないかは、とても大きいと思います。
ただ、今の職場のように長い目で僕を受け入れてくれる場所が、これまでには出会えなかった。
それだけのことだと思います。
どれくらい長く今の職場にいられるか分かりませんが
「長く続ける」ということが目的ではなく、
その職場でどんなことをしていきたいか、どんな存在になっていきたいか、
それが明確になっていけば、「長く続く」ということはついてくるものだと思います。
今の職場に入り、月日でみれば、とりあえず10か月は在籍してきたことになります。
毎日の勤務、フルタイムでの勤務ではないため、10か月在籍したと言っても、ようやく一員として見られてきたかな、という程度です。
ですが、利用者さん達との買い物、その後の調理などの支援する姿が、少しずつ認められるようになったみたいです。
「あつし君がいるから大丈夫だよー」
と言われるようになれたら良いなと思う。
そうすれば、他のスタッフさんはもっと別のことができる。
これまでは、僕+どなたか、という組み合わせでなければできなかった仕事が、僕一人で大丈夫という状態になれば、ずいぶんと楽になるんだと思っています。
トラブルはどんな時でも起こり得ることですし、それを恐れていたら、利用者さん達の自由が無くなってしまいます。
僕らは利用者さんが過ごしやすいように、安心できるような環境を作っていくんだろうな、
いや、僕らが作っていくというか、利用者さんと一緒に作らせてもらっている。
そんな姿勢でいると、やるべきことが少しずつ見えてくるのかな。
不安そうにしていたら、そっと手を繋いだり、声をかけたり
明日も午前中、リハビリ勤務です。
ゆっくりですが、頑張っていこう。
穏やかな心でいられること、穏やかさを客観視できるようなそんな存在になっていけたらいいな。