ゆるくていいじゃない
こんばんは。
ちょっと遅い時間になりました。
いつものことですが、書き始める瞬間まで、何を書こうかを決めていません。
Youtubeで音楽を聴きながら、皆さんのツイートを見たり、アンケートサイトのアンケートを答えていたり、色々とやりながら書いています。
今日は、また甥姪ちゃんたちが泊まりにきています。
度々、ツイートやブログでも書いていますが、甥姪ちゃんたちが来ると、両親がイライラモードになります。
僕には2歳離れた兄がいます。2人兄弟です。
で、その兄の子供ということですが、兄夫婦は、共に時間が不規則な仕事をしています。
そのため、どうしても僕の両親、または兄嫁の両親が預からなければならない時が出てきます。
昨年の夏から、僕は実家に戻ってきており、月に何回かは甥姪ちゃんたちが泊まりにきます。
また、泊まりではなくとも、保育園・学童保育に迎えに行き、夕飯を食べたあと、兄夫婦が帰宅したら、兄夫婦宅に送っていく、ということをします。
当たり前な話なのですが、甥姪ちゃん同士で、しょっちゅうケンカをします。
また、イヤがらせをいたり、いじわるなことをしたりしています。
声が非常に大きく、元気なわけですが、そんな甥姪ちゃんに対し、両親はイライラするのです。
理由としては「言う事をきかない」ということがほとんどです。
僕も子供がおりますが、言う事なんてきくはずがありません。
いや、イライラしてしまう気持ちはとても分かります。僕も妻と過ごしていた時には、妻の言動にも影響しておりましたが、かなりのイライラ人間でした。
毎日のように「生きるのか、死ぬのか」の選択を迫られているような心境でしたから、心に余裕などありませんでした。
今、実家に帰り、甥姪ちゃんを見ていて、やはり自分の子供を思い出します。
そして、胸が熱くなります。
甥姪ちゃんたちも、兄夫婦が毎日一緒にいるわけではないので、とても寂しくなる時もあると思います。
そんな気持ちから出た行動を、イライラで返してしまってはいけないなと思うのです。
保育園に間に合わない、自分も仕事に間に合わないかもしれない、という状況で「うんち~」とか「まだテレビ見たい」とか言われたら、もちろんイライラする。
それは痛いほどに分かります。
だからこそ、そんな時に、イライラではなく、別の捉え方ができたら良いのになと思います。
それは、例えば「日頃の接し方を変える」とかいうものではなく
仕事に遅れても良い。とか、急に仕事を休んでも良い。とか
そういった、社会の根本的な部分が変わればな、と思っています。
だって、仕事をしていくためにも、健康が大切なわけです。そして、育児をしていくにも、健康が大切です。もちろん、安定した収入が大切です。そのためには、仕事をする。
表現が難しいのですが、「ピリピリした空気、環境、社会」である必要など、全くないと思うのです。
社会を作っている方々が、結婚なり、育児を経験してきているということであれば、その大変さは痛いくらいに分かるはずなのになぁ。
「子供が急に熱を出してしまって・・・」
と言った場合に、どうしてすんなりと、「お大事にね」と言えないのだろうか。
もちろん、そう言ってくださる方々はたくさんいます。
そして、そんな姿勢、環境の職場は増えているとは思います。でも、全てがそうではありませんよね。
それでは、そんな環境にいない方がつらい思いをしますよね。
何ていうのかな、親がイライラしてしまうのは、もちろん、「仕事に間に合わないから」というだけではありませんが
ストレスが健康に悪いってことは分かることなのにな、どうしてもストレスを抱えなければならなくなってしまう。
優しい社会になったらな、と切実に思うのです。
そんなに怒ることないよな。
って、最近は思うことが増えました。
「しなければならない」から「してもいい、しなくてもいい」みたいな。
笑顔、温かさ、優しさといったものが、「弱さ、頼りなさ、逃げ」などのような価値観が、どうしても根強く残っている。
もっと緩めたらダメなんですかね。
ピリピリしていたところで、楽しくないじゃないですか。
僕は昔から、両親のイライラを常に見ている中で、「怒り、イライラ、険悪な空気、緊張した空気」というものが非常に苦手です。
もう、逃げ出したくなります。
で、一時期、僕も本当にイライラ、ピリピリ人間になっていた。
それこそ、「べき、ねば」の発想の塊でした。そこに「どうせ僕なんて~」といった自己否定を強く持っていたため、やはり、という流れで健康を損なった。
もどかしいです。本当に。
ただできることと言えば、目の前にある環境を、温かく、優しい風景に少しずつ変えていくこと。
それが、少しずつ広がればいいな。安心して笑顔で会話し、周りを信頼し、優しく生きていく。
「そんな甘いこと無理でしょ」と言われてもいい。
だって、僕は「甘いことだ」と思って生きてきたことによって、ものすごく苦しく、悲しく、虚しく、切ない思いを体験してきた。
だから、今度は逆の生き方をしていきたい。
甘くてもいいじゃない、温かくていいじゃん。優しくていいじゃん。
僕はそれらを十分に感じてこなかったわけだから。