理解されない痛み
こんばんは。
今日はハローワークに行き、1件紹介状を頂いてきました。
まずは書類選考と言う事で、書類を作成していきたいと思います。
夕飯を食べていた際に、テレビでニュースを見ていたのですが、ツイッターでも頻繁に話題になっている、教員同士のいじめ問題について取り上げていました。
その中で、教員同士のいじめが、子供同士のいじめを誘発しているという話をしていました。
その時に、キャスターの方が、「〇〇の調べによると、子供同士のいじめの原因となるのは、ストレスであるとされています」
という話し方をしていました。
それを聞いて、何だかすごく違和感を感じました。
テレビ、しかも全国放送での配信となると、それなりにデータの出どころがしっかりとしていないといけない、ということは分かります。
しかし、「子供同士のいじめ、子供のイライラがストレスによるもの」ということは、どこのデータであるかなどを用いずとも、人生経験上、分かることですよね。
もちろん、台本通りの内容を伝えていることは分かります。
子供だけでなく、大人だってストレスはヤバいことになります。
精神的な問題への注目が強まっている中、キャスターの方が個人的にどういう思いでその文章を読みあげているのか、そんな個人的な意見も聴きたいと思ったのです。
ここのところ、あまり言葉が浮かんでこない状態なわけですが、その大きな理由に、母親の存在があります。
これは、それまでと変わっているわけではないのですが、
パソコンがリビングにしかないため、ブログはどうしてもリビングで書くことになります。
書いている最中、「何をやってるんだか」みたいな視線を感じます。
また、イヤホンで音楽を聴きながら書いているのですが、何だか知りませんが話しかけてくるのです。
当然、僕には聞こえないので、イヤホンを外し、聞き返すのですが、それがストレスになっています。
伝えても、分からないものなんですね。
不思議なものです。
例えば僕ならば、「話しかけないで」と言われたら、怖くなってビクビクしてしまいます。
しかし、母親はそうは思わないらしい。
両親には、どうしてもHSPというものが理解できないようです。
いや、それ以前に精神疾患というものにも理解ができないようです。
こちらは相手の気持ちが理解できるのに、相手はどうしても理解できない、という状況に理不尽さを感じてしまいます。
また、それに伴って、「生きづらさ」を感じることになってしまうということにも、非常に不満を感じます。
「生きづらさ」が気のせいではなく、生き方そのものが柔軟性を失い、他の人との差ばかりが目についてしまうようになる。
そして、気づいた時には、日常生活に支障が出てしまう。
自分を苦しめるように考えるのは、なるべくやめよう。と思うのですが、急激に「生きやすく」なったという実感もなく、なかなか苦しいなぁと思っています。
いたずらに時間だけが過ぎてしまい、何だか色々なものが中途半端なままになっている。
それと同時進行で、気分の波は襲ってくる。
生きているだけで十分にしんどいわけですが、その苦しさは他の人にはなかなか理解ができない。
身近な人よりも、何なら全然知り合うことのない人の方が、理解を示してくれる。
少しずつでいい。「自分はすごいんだ」って思えるように。
なかなかそう言ってくれる人はいない。
自分の考えを常に否定したり、されたりを経験している人にとって、「自分はすごい」と思った瞬間に、「いやいやいや・・・」と思ってしまう。
それが少しずつ軽くなって、自分自身が、自分の一番の味方になってあげられるように。
そして、僕も、僕の一番の味方になれるように。
色々あった過去、それはもう戻ることはない。しかし、その中で感じたことはポジティブなこともネガティブなこともしっかりと覚えている。
なかなか人には分かってもらえない心の傷は、一人で癒すのはとても大変です。
ですが、まず最初に、自分がその傷の手当てをしようとしなければ、先には進めないのかもしれない。
癒しを、分かち合いたいと、真剣に思っています。