かっこいい音楽
こんばんは。
最近Youtubeで見つけた音楽です。
Magic Systemというグループだそうで、アフリカで活躍をしているみたいです。
フランス語なのかな、リサーチが足りずに申し訳ありませんが、スペイン語ではないし、ところどころ英語も入ってるみたいだし、でも耳慣れない言語です。
この方々の音楽を色々聞いてみると、ダンスミュージックがほとんどですね。
ビールに合いそうな音楽です。
こういった曲を見つけると、僕はとても嬉しい気持ちになります。
この曲は2014年に配信されたみたいで、そこまで新しいというわけではありません。
僕も最初からアフリカのアーティストを探していたわけでもなく、ふとお勧めに出てきたのです。
世界が広がる感覚は、とても大きな刺激をもらえます。
まだまだこんなに素晴らしい音楽があるんだな、って思うのです。
日本のアーティストを否定するわけではありませんが、世界はとても広いです。
それぞれの言語特有のもの、感性、色々とあるかと思います。
あとは日本特有の風情みたいなもの。
それらは「やっぱり邦楽が好きだな!」という理由にもなりますし、「これだから邦楽は苦手!」という理由にもなりえます。
昔からあまり邦楽が好きではなかった僕です。
優劣をつけているわけではありませんし、世界のアーティストといっても、本当に世界は広いです。
日本という島国だけの音楽にとどまらず、色々な世界のアーティストを知っていく楽しさを共有したいなと思います。
どちらの音楽が優れているか、心地よいか、という比較をするのではなく、「こういう音楽もあるんだ」という知識として色々な国の音楽を聴くのは大切だと思う。
また、普段の日本にいたらなかなか触れることができない文化。
特にやや閉鎖的な文化、国についてはなかなか知ることができません。
今で言うと、イスラム圏、中東辺りは(今に限ったことではありませんが)、非常に危険な地域となっております。
どんな音楽が流行っているのか、それとも、音楽が流行っていることはそもそも平和なことなのかもしれない。
などといった、色々な考えにも繋がります。
国によっては表現の自由を強く制限されているところもあります。
そういった国では、やはり流行りのアーティストというのも情報が流れないでしょう。
日本にいながら知ることのできる文化というのは、比較的「平和な文化」なのかもしれません。
とはいえ、僕が大好きなプエルトリコの音楽に関して言えば、様々なアーティストが活躍しておりますが、犯罪が多かったりと、充分に平和とは言えないところもあります。
音楽を経由して諸外国の情勢を知ることもできるのです。
是非とも、幅広い視野を意識して過ごしていきたいなと考えております。
9月に入りましたねー
こんばんは。
今日から9月に入りましたね。
今年もあと4カ月ですよ。
まだ暑さが残っている時期ですが、この4カ月でしっかりと冬になります。
四季の中で夏が一番好きで、冬が一番嫌いなので、これから徐々に涼しく、肌寒くなっていくと、とても物悲しい気持ちになります。
何とも言えない、空虚な感じ。
さて、今日は9月の初出勤でした。
今月は勤務時間が少し伸びることもありますが、ようやく一人の要員として扱われるようになりました。
これまでは、いつ急に休んでしまっても「なるべく大丈夫なように」補助員みたいな位置におりましたが、今日からは補助ではなく、メインの一人となりました。
だからといって何かがものすごく変わるわけではありません。
仕事はこれまでの仕事プラス、色々と頼まれごとをするようになってくるかと思います。
主に担当をさせてもらっていた子だけでなく、全体を見通す視点も必要となってきます。
色々と相談をしながら、助言をもらいながらやっていきたいと思います。
あと、今週末から週末だけの副業が始まります。
同じ介護・福祉業界なのですが、副業は高齢者向けのデイサービスに行きます。
こちらは自分の病気のこと、掛け持ちしていることも先方には伝えております。
それでも大丈夫ということなので、がんばってみたいと思います。
そんな感じで少し(?少しでもないかな)、変化をしていく下半期になってくると思います。
副業が安定すれば、全体的な収入もだいぶ安定します。
それでも少ないことは致し方ありません。
ゆっくり頑張ろうと思います。
9月に入り、生活は変わりましたか?それとも引き続きという感じでしょうか。
いずれにせよ健康が一番。安定した心身で過ごしていきたいと思います。
ブログものんびり更新していきますので、よろしくお願いします👍
日本は平和か?
こんばんは。
今日も非常に暑い1日でした。
仕事が休みだったのですが、精神科への通院のために外出しました。
国内では新型コロナの感染者がかなり増えており、愛知県でも過去最多、というニュースが流れています。
僕はワクチン接種を2回済ませてはおりますが、それでも不安で仕方ありません。
特に混み合うような場所にはなるべく行かないように過ごしています。
買い物に行くにしても、最低限で済むようにしています。
さて、国内のニュースから海外に目を向けると、新型コロナだけでなく様々な国際情勢が見えてきます。
なかでもやっぱり武装勢力による紛争、テロなどの報道を見ると、とても胸が痛みます。
「あいつらは許せない」という気持ちが、もう何代も何代も、何百年と続いているのでしょうね。
そう簡単には解決などしない問題ではありますが、武力による解決、強行は止めてほしいものです。
確かに「殺らねば殺られる世界」だと思います。
そんな中で、「武力反対!」と言ったところで、問題の根っこは人々の骨にまで染み渡るくらいに深く根強い。
話は随分と場面は変わりますが、日本において、よく「平和ボケ」という言葉が使われることがあります。
日本は第二次世界大戦以降、武力の行使をしてきませんでした。
平和の象徴であるかのようなイメージが、過去の日本にはありました。
日本に生まれて良かったな、そう言える環境が、過去にはあっただろうと思います。
しかし今、日本で生活をしていて、心の底から「平和だな」と思えますか?
武力による紛争こそ起きませんが、どうしても陰険な雰囲気を感じざるを得ないのです。
それはネット上でのトラブル、誹謗中傷といったものを中心とした、ハラスメントが横行しているから、だと思うのです。
表面上ではごく普通の生活をしている(家庭をもち、仕事があり、安定した収入もある)という方が、実はネット上ではあらゆる人たちに誹謗中傷をしていたり、差別的な発言、思想を持っていることがある。
それが、本当に個人だけの胸の内にある内は良いのですが、一歩発信されてしまえば、もうそれは弾丸のように人々を攻撃することになります。
たった1回のクリック、タップで、奪われる命がある。
そんな社会、平和ですか?
電車に乗っていて、隣に座っている人がスマホを操作している。
何をしているか分かりません。
それが、もしかしたら誰かを傷つける行為をしているのかもしれません。
もちろん、だからといって全ての人を疑いの目で見てしまっては、どんどん閉鎖的な社会となってしまいます。
でも、今では隣の部屋に住む人の名前も顔も知らない、いや詮索するべきじゃない社会です。
そんな社会が、とても平和だとは思えませんし、人々の心にどんどん闇に覆われてしまうのではないかと思うのです。
何をしてもお粗末なことしかできない政府、内閣。
批判がやまない世論。しかし、批判がやまなかったとしても、平気で税金を無駄遣いし、自分たちの思い通りに強行をしていく政府。
時代が時代なら、既にあちこちで一揆や暗殺のようなものが起きていたでしょう。
政治家の皆さんは、そうした武力行為に出ることのない国民に、改めて感謝をし、その国民のために仕事をしていかなければならない、という基本的なことを認識してもらいたいものです。
依存症について
こんばんは。
僕が学生の頃、お店で何かを買って代金を支払う場合、ほぼ100%現金でした。
大学生の頃までは本当に世間知らずの坊やだったので、一人で地下鉄に乗り、何度も乗り換えて目的地に着くということはとても難しいことでした。
また、自転車を使っての移動にしても、地理感覚があまりなく、迷子になりやすかった。
そんな過去がありましたが、現在ではどう変わったでしょう。
今回話したいのが、代金の支払い方法についてです。
今では本当に様々な支払方法があります。
現金、クレジットカード、デビットカード、金券、ポイントカード、QRコード、ウェブマネー、借金
使ったことないものもあるでしょう。
僕は未だにスマホでピッてやるやつを使ったことありません。
種類がたくさんありすぎ、キャッシュバック(ポイント還元など)のことを考えて支払い方法を変えている方もいらっしゃると思います。
あとは、お店ごとにね。対象のポイントが決まっているので、それで使い分けたり。
例えば、今所持金500円を持っています。
さて、僕はいくらの商品を買うことができますか?
散財というものを、僕もしたことがあります。何度も何度も。
今はかなり落ち着いており、収入に見合った使い方をしております。
金銭感覚が狂うという言い方はちょっと違っていて、もう、とにかくおかしいんですよね。
現在、様々な支払い方法の選択肢がある。そんな中、所持金500円でいくらのものが買えるか。
500円が上限ならば良いです。
でも、クレジットカードは今すぐに支払う必要はありません。
ポイントで支払うこともありえます。もしくは借金をしたら、すぐに現金が手に入る。
散財をしてしまうという場合、とにかく何がなんでもお金を捻出しようとします。
または、支払い能力以上の買い物をしてしまいます。
僕もつらかったです。狂っているんです。
恐ろしい現実です。
僕はそこにアルコール依存が入っていました。
お酒を買うお金がどうしても欲しい。という感じです。
思い出しただけで「あの頃には戻りたくない」と思います。
そんな経験をしている中、周りの人たちの反応で一番つらかったこと。
それは、「現金、クレジットカード、その他諸々を取り上げられる」ことでした。
散財をしてしまうという人に対し、周りの人がだいたいすることは、支払い能力を取り上げてしまうことです。
僕の元妻はその行動が非常に激しく、仕事で必要となる駐車場の料金(あとで会社から戻ってきます)や、病院に行くお金(元妻は、僕が完全無料だと信じ込んでいました)を一切渡してもらえませんでした。
そのため、仕事については駐車禁止を貼られるかビクビクしながら仕事をしていたし、病院についても何度か「ツケ」にしてもらっていました。
確かに元はと言えば、散財をしてしまった自分が悪い。
それに対し、ある種の「罰」を与えるのは当然のことなのかもしれない。
ただ、僕は散財もある意味、病的なものだと考えています。
それを病気と理解するか、その人の人間性の問題だと理解するか。
その判断によって、対応はものすごく変わってきます。
まず、人間性の問題だと捉えた場合、散財しているという事実以上、本人の性格、内面の部分まで否定されることが多い。
そうなると非常につらいです。
現金やクレジットカードを取り上げてはいけない。って強く思います。
それは、勘違いだし、間違った対応だと思う。
もちろん、そうしたい気持ちもすごく分かる。怒る気持ちも分かる。
罰を与えたい気持ちもすごく理解できる。
でも、大切なのはそんな表面的なことではないんだ。
散財をしてしまう人は、散財をしながらもがき苦しんでいる。
「苦しかったね」と言えるかどうか。
「あなたは間違ってる、おかしい!」と言うことはとても簡単だ。
でも、「散財をしてしまうこと」だけ抑えられればそれでいいのか?
もっと奥にある、大きな闇、大きな問題を無視してはいけないと思う。
僕は散財にプラス、アルコール依存状態に陥り、元妻さらには両親、義両親からも見放された。
「元妻が病気を理解してくれない!」という言葉には、今回触れた、なかなか理解されづらい問題も含まれている。
アルコール依存症の治療の最初は「断酒」だという。
お酒を飲みたくなることについて自分なりに分析をしたり、様々なレクリエーションを通して、お酒以外の解消法を模索したりする。
また、仲間がいることで「一人じゃない」という心強さに繋がる。
僕が思っていることは、アルコール依存の最初は「本人の強い意志」と「断酒」だけではない。
いや、その前に触れなければならない問題の方が大きいと思う。
どうしてお酒を飲みたくなるのか、どうして散財したくなるのか。
目の前にあるお酒や現金を取り上げたところで、その根本的な部分は解決しない。
だからこそ、慎重に丁寧に取り扱わなければいけないと思う。
また、「断酒」を始めたけれど、やっぱり飲んでしまった場合。
「意志が弱い!」とか「甘えている!」と叱責するのは違うと思う。
家族などの関係の近い人が、見放したり否定をしてしまっては、どんどん孤立してしまう。
それこそ、治療とは程遠いものになってしまう。
これは僕が自身の依存経験を色々な角度で分析し、「今だからこう思う」という気持ちです。
もちろん、全ての人に対応するものではありません。
何かしらに「依存」をしてしまう人に対し、周りの人は「こういう反応をしやすい社会だよね」という感じで話しました。
ちょっと長くなりましたが、今日はこんな感じでございました。
まだまだ暑いですが、のんびりまったり過ごしていきましょうね!
あまり関わらない方がいい人?
こんばんは。
今日の名古屋はとても蒸し暑い1日でした。
雨が降った地域もあったかと思いますが、僕が住んでいる地域では降らず、蒸し蒸しした天気でした。
お陰様で仕事でたくさん汗をかくことができます。
食事制限もしているため、少しお腹がへこんだ感じです。
さて、今日はずっと僕が「しんどいな」と思ってきたことについて話します。
自分が患っている双極性障害や気分障害の症状ではない、別のつらさです。
心がつらいという局面は、いつどこで誰にでもなりうることです。
これに関しては、「いやいや、俺はメンタル強いから大丈夫だぜ!」という例外は、まずいないと考えています。
なぜそう言い切れるかというと、「人間だから」です。
みんな何かしらの、メンタル崩壊の「限度」があるのです。
それらは人それぞれ違うことですので、単純に「強弱」「優劣」「上下」で区別できるものではありませんし、比較する必要のないことです。
そういった前提で話を進めます。
僕が「こういう人だけは関わらない方が良いな」と思う人です。
僕は当然「全ての人に平等で優しく、全ての人を愛し、愛され」という存在ではありません。
・急に音沙汰無くなる人
これは、精神疾患を抱えている、いない、に関わらずたくさんいると思います。
精神疾患などを抱えている方には、そうではない方に比べ(比べ~、という表現が非
常に嫌なのですが)、「衝動的にすべてをリセットしたくなる」ことが多い。
そのため、いきなり音信不通になってしまうことがたまにあります。
僕も実際に急に音信不通にしてしまったし、されたこともある。
音沙汰無くしていた理由をね、教えてくれれば全然問題はないんですよね。
でも、たいていはいきなり、パッといなくなる。
・恩着せがましい人
親世代の人にありがちなことです。
〇〇してあげたんだから、××してくれても良いんじゃない?という考え方の人は、と
ても困ります。
・・・色々と考えてみたのですが、恩着せがましい人は確かにしんどい。
でも、それ以上に「急に音沙汰無くなる人」の方が、僕にはダメージが大きい。
理想では「こういった人とは関わらない方がいい」みたいなものを列挙しようとしていたわけですが、その行動自体が何だか虚しいなって思ったのです。
そんな中でも、本当にあえて挙げるなら、っていう感じで「音沙汰無くなる人」を挙げました。
そこで次に考えていきたいのは「どうして、相手が急に音沙汰無くなったら嫌なのか?」という部分です。
この場合、受け取る側が音沙汰無くなってしまう人に対し、依存をしてしまっていることが多いのかと思います。
実際僕もそうでした。
相手の反応に一喜一憂していた。
反応がないととにかく寂しい。反応があるとすっごい嬉しい。
そんな感じで日々を過ごしていたら・・・、
人生の主人公が自分ではなく、その相手の方の気分次第で動いていくことになります。
これはとてもつらいです。
ちょっとしんどいので、この辺で終わりにしておきたいと思うのですが、これだけは言っておきたい!
今回の内容は、「こんな人と関わらない方がいい」という感じで話をしてきましたが、急に連絡をしなくなる、無視する、といった言動が「おかしい、間違っている、それはひどい!」ということが言いたいわけではありません。
なぜ、音沙汰無くなる人をしんどいと感じるのかは、やはり自分の中に・・・
うーん・・・、なんかそれも違う気がするなぁ。
結局のところ自分が相手に依存し過ぎてしまっている、という結論にしてしまうのもどうかなって思うのです。
急に連絡を絶った人
急に連絡を絶たれた人
どちらもそれぞれの考え方、背景、環境がある。
どちらの気持ちも尊重していきたいし、尊重されるべきだと思う。
ここで双方が敵対してしまうのか、話せば分かるのか。
こういうことを考えていくと、色々と面白いよなって思う。
なんかこう、「フニャン」とした曖昧な内容でした。
大学生時代に流行ったもの
こんばんは。
皆さんが学生時代、流行っていたものって何ですか?
学生時代といっても幅が広いわけで、小学校から大学までと16年もあります(浪人していなければ、あくまでもというわけで・・・)。
また、流行ったものも様々にあるかと思います、その中でも一番思い出しやすいものってなんでしょうか。
今現在にまで影響しているもの、こと、がありまして。
それは僕が大学生の頃に流行った「言葉」です。
大学2年生くらいからかな、どこから出たかは知りませんがある言葉がよく言われるようになりました。
今でもたまに使うこともありますかね。
「ぶっちゃけ」です
当時、僕は経済学部におりまして、ゼミに所属していました。
ゼミの教授は僕ら2年生の他に4年生でもゼミを受け持っており、年に数回、先輩後輩の交流会のようなものをやっておりました。
その時、先輩方がめっちゃ言っていました「ぶっちゃけ」。
「ぶっちゃけ」の意味はもう皆さんご存じだと思うのでここでは触れません。
当時は会話の中で「ぶっちゃけ」ることができる人がかっこよく見えておりました。
自分から何かを発言する際にも「ぶっちゃけ」
相手に質問する際にも「ぶっちゃけ」
先生に対しても「ぶっちゃけ」
友人同士で「ぶっちゃけ」合う
そんな学生生活を送っておりました。
今になって「あれって何だったんだろうなぁ」って思うんです。
一種の洗脳のような状態であったのかなと思う。
「ぶっちゃけることができる人=優秀な人、できる人、人望厚い人」
みたいな感じでした。
今はねぇ・・・、
そうですね。
「ぶっちゃけー」って言ってくる人がいたら、
「いや、別にぶっちゃけなくて良いです」って答えるかな。
それにしても大学生時代、「ぶっちゃけ」はとても流行りました。
大学生時代の僕は男性の輪の中に入っていくのが非常に苦手な人間でした。
なんだろ、全ての男性は少なくとも僕よりも全てにおいて優れている、と考えていました。
その頃の僕は、目に見える数値で現れるような「成績」にはほとんど重きを置いておらず、外見と内面ばかりで比較をしておりました。
今となっては周りの人と比較をして、その上自分を卑下して格差をつけてしまうなんて、とんでもなく苦しいことだと分かるのですが、
先にも述べた通り、「ぶっちゃけ教」に洗脳されていた僕は「どうせ僕だからダメなんだ」と考えておりました。
ぶっちゃけることができない自分。
ぶっちゃけた者勝ち。
現在では「要は・・・」とか「つまり・・・」といった「要約したがりマン」だったり、
「極論・・・」とかいう「リミット外しマン」のような、口癖みたいになってしまっていましたね。
あとは「逆に・・・」、「っていうか・・・」みたいな「手の平返しマン」かな。
「そもそも・・・」といった「原点回帰マン」も多いですよね。
たまに言うなら何ら問題ない言葉でも、頻繁に使っていると癖になってしまって、なかなかやめられなくなる。
そしてその言葉の意味をあまり厳密に考えずに使うことで、文章として成立しなくなってしまう。
そういった日本語、特に口語の乱れ方には慎重に対応した方が良いと思うのです。
日本語は世界的にも習得が難しいと言われている言語の1つです(らしいです)。
その日本語を大切に扱うのも、粗末に扱うのも我々、現代人です。
その環境の圧や、風潮、場の流れ、のようなもので大きく変化することがないように、
また、これから日本語を勉強していきたい、とたくさんの方々に思ってもらうためにも、丁寧な言葉選びをしていきたいですね。
今日も皆さん、お疲れ様でした!
今日も雨降りでしたね
こんばんは。
1曲、最近知った曲を紹介します。
この曲についての詳細はまだ調べていませんが、インドかな、東南アジアかな、エジプトかその辺りな気がします。
MVに出演する男性がプロデューサーのようです。
電車に揺られながら、美女2人と心地よい時間を過ごしている夢を見ている設定でしょうか。
ノンストップでダンスミュージックがかかっているチャンネルが、Youtubeにありまして、昨日聴いていて、たまたまかかった曲です。
僕はなかなか好きです。
さて、今日も雨降りでしたね。
僕は午前中の仕事をしてきました。
今日は利用者さんとのチラシ配りの日です。
僕が担当する子(だいたい決まっています)は、歩行や諸々の動作に介助が必要な子です。
まぁ、「子」っていっても、もう子供じゃありません。30歳くらいになる方です。
歩行に介助が必要で、介助側が結構な力仕事となります。
僕と同じくらいの背丈の男性の体重を支えるわけですから。
支えながら歩行をするのですが、雨が降っている場合は滑りやすいですし、何より傘を持ちながら補助をすることが困難です。
ですから、今日はチラシ配りには行かず、室内で過ごしていました。
チラシ(小冊子)の中に、何枚かバラのチラシを入れる作業も、利用者さんが行います。
僕は担当の子を見守りながら、他の利用者さんがチラシを入れていくのを確認したりと、結構せわしなくしていました。
一連の流れはだいぶ慣れてきましたが、慣れれば慣れるほど気が付くことが増えていくので、どんどん仕事が増えていきます。
それはとても嬉しいことです。
また、ここ数カ月、休むことなく出勤できているので、来月から少し時間を増やしてもらえることになりました。
ちょうど、そろそろもう少し収入を増やしたいなと思っていました。
体調もだいぶ安定しているし、仕事中は集中できるし、仕事も増えていく中で、そろそろもう少し負荷をかけても良いのかなって思っていた頃です。
どれくらい増えるのかはまだ分かりませんが、元気に休まず、笑顔で続けていけたらいいなと思います。
頑張る、というよりはありのまま、職場に行けば大丈夫だってことを感じています。
プレッシャーにも感じることが少なくなりました。
これからものんびりやっていきたいと思います。
それでは、今日はこの辺で。
いつもありがとうございます。おやすみなさい⭐